シャカイフテキゴウシャはフリーランスで生きていく
本記事はokutani(@okutani_t)の戯言であり、シャカイフテキゴウシャの葛藤と決意を吐き出した、一種の自虐的カツ自意識過剰的な文である。
本記事は、私の得意の『ですます口調』を取っ払い、ほどよくくだけた、まるで部屋の隅でぶつくさと対角線に置いてある観葉植物に「僕はこういう人間です。こういう人間になってみたいんです。実はこんなことがありまして……」と、改まって自己紹介をするような、そんな心持ちで進めていく。
okutaniの今までのシャカイフテキゴウシャぶりは、「新卒で入ったIT派遣会社を1年経たずに辞めた話 | vdeep」を参考にされたし。一部界隈では非難轟々、中には共感、無関心、感謝、アドバイス、さまざまなご意見をご寄せいただいた。
本記事では、先ほどとはまた違った形の、シャカイフテキゴウシャとしての生き方、フリーランスという、社会と関わりを持つことがたいそう苦手な人でも、すいもあまいも、自由も束縛も、そんな考えから解放され、十分に自信を持ってやっていける、そんな職業について、自分なりの言葉で紹介したいと思う。
まずはじめに、記憶から消えないうちに、僕が犯したシャカイフテキゴウシャな、ホットなストーリーを、ここにすべて吐き出しておこう。
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プロローグ
僕は気がついたら、手の甲をぐっと、自分の歯でもって、押し付け、ぐっと、込み上げてくるもの、押さえつけ、なんとか平常心を保つため、目に登ってきた液体を、おさえ、右手の甲の感触を、忘れまいと、感覚を研ぎ澄ませ、指先に送られる血液が、赤く抉られた真新しい傷跡をなぞる感覚を、忘れまい、忘れまいと、ぐっと、目の前のPCを覗き込んだ……
* * *
あれから、院卒の新卒カードを捨て、就職せず、Web制作会社でアルバイトに従事した。
その後、2016年8月。フリーランスになった。
フリーランス初日。フリーランスになる前から進めていた200万円の案件を、あっさりと失注した。
理由は単純だった。担当に気に入られなかった。
僕は案件をスムーズに進めたかった。僕は、担当にあれやこれや注文をつけた。
メールよりチャット。仕様をきちんと固めてから着手。利用する技術の許容。
それが担当は気に食わなかったらしい。
フリーランス初日に、たったひとつの案件を失注した僕は、無職になった。
フリーランスという、至極真っ当な現実。
担当とうまくコミュニケーションが取れなかったのは、自分が『シャカイフテキゴウシャ』であり、それを押し付け、無理やり通そうとしたからである、と白い壁紙に浮き出るわずかにキラキラと輝いた細かい粒が、一つひとつ、何かためになることを教えあげようか、と僕の両目に語りかけてくる様子である無機質な天井を見つめ、ふつふつと考えた。
運が悪かったといえばそうかもしれない。ただ、『ふつうの人』なら、フリーランス初日に200万円の案件を失注するような、大胆で危ない行動はしないであろう。
僕は、どうやってひとりで、これからフリーランスとして生きていけばいいのか。
懸命に考えたが、僕がやれることは『行動すること』しかなかった。
フリーランスの初仕事
僕はこのブログを通じて知り合った方数名に、いくつかフリーランスで仕事をもらえないか掛け合ってみた。
その中でひとりだけ反応があった。とは言っても、その方はあまり面識のない人だったので、はじめはかなりかるい気持ちで対応した。
『とあるWebサイトから、900万件分のデータをスクレイピングで引っ張ってきて、CSVに落とし込む』という内容の案件をいただいた。
15万円で受けた。……今なら50万円もらってもやらない仕事だ。
なぜなら、サイトに負荷がかかってダウンした場合や、取得したデータの利用方法が適切でなければ、最悪、サイト運営者から訴えられる可能性がある。
ただ、初のフリーランスの仕事としてもらえた案件なので、失敗しないよう、一生懸命やった。サイトに迷惑がかからないよう、delayをかけながら、注意深くスクレイピングをおこなった。
納品間際、一部のデータが取得できないことに気がついた。HTMLのタグ構造が他と変わっていて、それように新しくプログラムを書き換えないといけなかった。
ただ、データとしては十分に取得できているし、金額もかなり安めに設定していたので「取得できないデータがあるのですがどうしましょうか」と尋ねた。
その人は、威圧的に、俺が仕事を持ってきてやったんだ、言われた通りのことができないのか、お前はフリーランスでやっていく覚悟があるのか、金を払ってやってるんだ、完璧なデータを納品できなかったらお前の責任だ、うんぬん、かんぬん。
僕は徹夜でコードを書き換えた。無事にすべてのデータを取得した。納品。15万円と引き換えに。
納品後、僕は「2度と連絡してくるな」という旨を伝えた。
ここでも、僕はシャカイフテキゴウシャだった。
『言われたことができないのはプロ失格』ということは、ちゃんと頭で理解していた。ただ、それにつけこんで罵詈雑言、僕には理解し難い。
そうはいっても、フリーランスとして、苦くも、なんとかかんとか、第一歩を踏み出した。
月100万円の壁を達成できた日
その後、知り合い、このブログからのお問い合わせ、自分のポートフォリオサイトからのコンタクト、前職の方のお手伝いなどなど、Webやプログラミングにまつわる仕事はなんでも引き受けた。
あるときは『某大手食品メーカーの試作用Webアプリ』、あるときは『某ベンチャー企業でチャットアプリ制作』、あるときは『某高級時計メーカーのLP』、またあるときは『某大手旅行会社の新卒採用特設サイト』……
フリーランスの仕事をこなしながら、僕はひとつ目標を立てていた。
それは『月100万円稼げるようになる』ことだ。
「フリーランスとして、月100万円の壁を越える」
その目標を、漠然ながら考えていた。
なんとなく、自分の存在意義だとか、社会に対して認められるとか、承認欲求、誰でもいい、自分がやっていることを認めてくれる、そんなことを、僕は月100万円を稼ぐことで満たされるんじゃないかと……
その目標をぼんやりと頭に思い描きながら、フリーランスの仕事をこなしていった。
2017年2月。
案件がまとまって入ってきたこともあり、フリーランス半年にして、月100万円の報酬を得ることができた。
素直に嬉しかった。デザインの組み込みとPHPを使ったシステム構築両方を同時に走らせて、なんとか月100万円の壁を越えることができた。
と、同時に、とある会社からヘッドハンティングの話を持ちかけられた。
再就職。右手の甲の疼き
某ベンチャー企業のK社は、社員の8割方をヘッドハンティングで集めており、僕がWeb上に出しているプロフィールをK社の採用担当者がみて、一度、ざっくばらんにお話しないか、と連絡をいただいた。
K社のことはネットの記事で何度か見たことがあった。
IT関係の方なら一度は働いてみたいと思うであろう、とてもお洒落なオフィス。優秀な人材。開発環境は最新のものが揃っている。
フリーランスとして、月100万円の壁を超えたときだったので、そのときはフリーランスで働くことに別段、固執する必要もなかった。
採用はスムーズに進み、K社に入社することになった。
結果として、僕はK社をたった3ヶ月で辞めた。
今でも、僕はK社に入ったことが正解だったのかどうか、答えが出ない。
やることなく、侘しい一人暮らしの部屋にK社の華やかなCMが流れるたび、僕はぼんやりした頭で、あることないこと、考える。
『シャカイフテキゴウシャ』
そんな言葉が、頭を中を、うようよと漂い、けたけたと笑い、ときには肩にのしかかり、「しゃかいふてきごうしゃ、シャカイフテキゴウシャ、社会不適合者……」と耳元で囁き、言葉はことばを生み、ダメ人間、コミュニケーション障害、生きる意味、働く意味、とは……
はじめて、人生ではじめて、こんなにもコミュニケーションが僕はできなかったのか、なんて惨めなんだ、頭をぐるぐる駆け巡った。
僕は頭を抱えて、ああ、そうだ、あの時の、あの日のことを、まるで真っ暗な部屋の中で重い扉を開けたときに差し込む鋭い光のように、どっと頭の中に流れ込み、フラッシュバックのように思い出した。小学校高学年のとき通っていた、あの囲碁教室の風景を。
友達がたくさんいた小学校時代。
『ヒカルの碁』という漫画が流行った時期。僕は母親に懇願し、石神井公園駅の近くにある囲碁教室に通わせてもらえるよう頼んだ。
母親の了承を得て、僕より年下の子や、年上のお兄さんに囲まれ、石神井公園の囲碁教室で、囲碁を打った。
僕はお喋りが好きで、学校では休み時間にはいつも友達と、教室の中で1番目立つ声で雑談していたあのころ。
そんな僕が、囲碁教室の中では、誰とも話せなくなっていた。はじめての、不思議な感覚だった。
なぜだか分からないが、誰ともうまくコミュニケーションが取れない。
一度だけ、囲碁に夢中になって、その内容はぜんぜん覚えていないけれども、対局相手の年下の男の子に、興奮気味に話しかけた。
その男の子は「おくたに君はふだん全然しゃべらないけど、そうやって喋れるんだね」と、平然に、悪気なく、さらっと言ってのけた。
僕は恥ずかしくなり、後ろめたく、その男の子と目を合わせないよう、盤上にゆっくりと頭を垂れた。気がついたら囲碁教室にはだんだんと行かなくなっていた。
そんな15年も前のことを、今でも鮮明に覚えていることに驚きつつ、そのときの状況を、大人になった26歳の僕は、コミュニケーションが取れない職場で思い返していた。
「何が言いたいのか分かりません」「なぜエラーログを見ないで話しかけてくるんですか」「経験がないからって言い訳しないでください」「何がしたいんですか?はっきりしてください」
僕は分からないところを聞くたびに、ぐっと、構えて、仕事なんだ、当たり前のことだ、社会人なんだ、この会社の社員としてちゃんとするんだ、頑張らないといけないんだ……
言い聞かせた。
シャカイジン。アタリマエ。ジョウシキ。シゴト。チャント、シナケレバ。
とうとう、1日誰にも話しかけられず、理解できないシステムと、回らない頭で、PCとにらめっこ。
僕は、必死に、右手の甲を、いろいろなものをこらえるため、自分の歯を押し付けて、赤くあとが残る右手の甲の感触を確かめ、目の前のPCを必死に、覗き込む。
理解できない。それはそうだ。コミュニケーションがとれないから。胃がキリキリと、助けてと、悲鳴をあげる。仕事を進めることが、こんなに辛いとは……
井の頭線を降りて、一人で暮らしている吉祥寺の街をふらふらと、自宅方面へ、空っぽの頭であるいた。
ズキ、ズキ、ズキ。
右手の甲が疼いた。
そして、一瞬考え、ああ、なんだ、昼間の。
自分はなんて、『シャカイフテキゴウシャ』なんだろうか……
右手の甲の疼きを、忘れまいと。
この道をあるいて感じた痛みを、忘れまいと。
その後、何度かの面談を経て、僕はK社を退職した。
入社して3ヶ月。たった3ヶ月で僕はK社を辞めた。
気が変わればいいと、発泡酒なんかをむりやり流し込んではみたものの、気分が晴れることはなかった。
これからの、フリーランスが生きる道
2017年7月現在。
なんとか、いくつか案件の話を進めることができており、フリーランスとして活動を再スタートさせている。
ありがたいことに、今までの経験は無駄ではなかったようで、複数の案件の話をいただいている。
ここで、僕は自分の『シャカイフテキゴウシャという立場』を、もう一度見つめ直してみた。
ふと、こんなことが頭の中でグルグルと、僕の脳みそを、ゆっくりと掻き回した。
『社会に馴染めないすべての人たちが、フリーランスとして独立して生きていける世界』
こんな世界を作ってみたい。
今、社会に馴染めなくて、スキルもあまりない『シャカイフテキゴウシャ』な人たち。
その人たちを支援するシステムを構築することができたら、とても素晴らしいことなんじゃないだろうか。
そうすれば、今の世界で生きていくのが辛い人たちの、新しい道、新しい世界が切り開ける。
かなり大きなテーマだが、シャカイフテキゴウシャな自分であれば、もしかしたら作ることができるんじゃないだろうか。
それを実現することに向けて、今は違う角度の見方を持って、フリーランスとして活動している。
これからのフリーランスの生き方。
『シャカイフテキゴウシャが、自分に自信を持って、非雇用でも、胸を張って生きていける世界』
ただ、今は自分自身がきちんとフリーランスとして生きていけることが第一前提だ。
それがちゃんと確立できたとき、シャカイフテキゴウシャが満足に生きていける世界を作る、そんな活動をしていきたい。
シャカイフテキゴウシャがフリーランスとして生きていく。
僕は、自分の実体験でもって、これから体現させていきたい。
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