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拝啓、仕事を辞めたキミへ

   

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※本記事は以前okutaniが働いていた職場の後輩宛に書いた、手紙のような記事です。それ以上でもそれ以下でもなく、後輩以外の方が読んでも、なんの意味もないかもしれません。ただ、僕が書いたこの手紙のような記事は、僕と後輩に対しては、何かしら、生きる上で ―かすかな光にさえなれなかったとしても―、意味を持つものだと、きっとそうなると信じています

拝啓、仕事を辞めたキミへ。

キミがこの記事を、どういう経路で、どのような場所で、どのような心境で読んでいるか、僕には分からない。

読んでいないかもしれないし、人からこの記事の存在を聞いたけれども読む気にならず、何の気なしに、変わらぬ平和な日常を、別段のことなく送っているかもしれない。

ただ、キミが、自分自身が分からず、世間の考えが分からず、人と人との関わり合いが分からず、この先にあるものがクソなのか光なのか分からず、刻々と胸に抱える、掬っても掬っても通り抜けていくどうしようもない醜い感情を、日に2度、3度、4度…… と眺める日々を送っているのであれば、僕の文章はきっと役に立つ。僕はそう思う。

僕が24歳の頃、そうだったように……

本記事では、キミのことは一切書かない。万が一、気に障る部分があるのであれば、すぐに連絡してくれ。最悪の場合、この記事を削除するのもいとわない。

話は、僕の過去のことを含め、家族について、人に頼ることについて、生きる上で大切なことについて、そんな事々をゆっくり時間をかけて書いていこうと思う。

家族について

この話を、キミがどう受け止めてくれるか分からないが、率直に、自分なりに嘘偽りなく書いていく。

話は僕が中学3年のころに遡る。

僕の家庭は崩壊して、僕は家族の中の『異物』になった。

酒を飲んで暴れる父親と、精神病院に通う母親と、怯えながら布団に包まる弟を見て、僕は家族の中の異物になることを決めたんだ。

『女に手を上げちゃいけない』

そんな父親の言葉をずっと大切にしてきた僕は、たった一度の光景、手を上げてしまった父親と、椅子から転げ落ちて泣いている母親を見て、どうしようもなく、何の言葉も出なく、ぐるぐると、ぐるぐるぐるぐると、ない頭をひねって、何が正しいのか、何が悪かったのか、毎日吐き気がする気持ちで、自分なりにぐっと飲み込み、その事実を受け止めた。

手にヒビが入り、親戚の集まりに注目されまいと、小さくなる父親の姿があまりにも情けなく…… かといって僕が父親に抗うことなどできようもなく……

家族の乗る船がどんな状態で、誰が舵をコントロールして、どこに向かうのか。

男の僕は泣きもできず、クソみたいに弱い自分を、クソみたいに弱い家族を、誰にも知られずに、土壁がボロボロと崩れる東京練馬のボロい家で、じっと耐えて過ごした。

日に日に増えていく夜ご飯のコンビニ弁当に「ああ、これで少しでも母親の負担が減ってくれる」と喜んで食べたあの頃の僕。

それから僕は実に9年間、24歳になるまで、父親と言葉を交わさなかった。

唯一、僕のできることはそれしかなかったんだ。

父親と言葉を交わさないことで、僕は家族の一員から抜け出し、家族の中の異物になった。

家族から精神的に離れ、第3者になることで、父親への抑止力となろうとしたわけだ。

キミにこのことを理解してもらおうとも思わないし、僕はこれが正しい判断だったと、大声で言うことはできない。

最初こそ、僕の態度は父親の怒りを買い、殴られもしたが、僕は家族を守るため、母親を守るため、朝昼晩、父親には一瞥も与えず、じっと耐えてきた。

父親は家を出ていった。

ボロい築50年の家に、平和が戻った。

今思い返しても、父親が出ていったあとの家庭は明るくて、母親は精神病院に通わなくてよくなり、すぐに割れてしまったガラスのコップの代わりに使っていた、プラスチック製のコップも使う頻度が少なくなった。

でも、ただ、僕の中では、家族で楽しくキャンプに出かけたあの日々を、父親が嬉しそうにテントを張って、焚き火にあたりながらビールを飲み笑ってくれた、そんな日々を、きっとまた迎えられる日がくるんじゃないのかと、そんな漠然とした幸せの中に戻れる日がきっとくるんじゃないかと、頭の片隅でずっと思っていたんだ。

そんな日は、今現在も訪れていないし、もう訪れることはないと、僕はこの文章を書きながらそう感じている。

これが、僕と僕の家族の過去で、僕と僕の家族との繋がりだ。

これは後にカウンセラーの先生が教えてくれたことだが、僕が過去にあった家族のことと、僕が取った行動、これは典型的な『アダルトチルドレン』の例らしい。

別に、自分がアダルトチルドレンだとかどうだとか、僕はさほど気にしていないのだが、もしかしたら何かキミの役に立つ話かもしれないと思い、洗いざらい書いてみた。

カウンセリングに通ったあの日

24歳の時。厄年の時。人生で最悪だった年。

人は生きていく上で、自分ではどうしようもない出来事に出くわすことがある。

それは、就職だったり、親の死だったり、大切なものを失ってしまったときだったり……

詳しくは言えないが、家族に大変な問題があり、警察沙汰…… 父親と話さざるをえない状況になった。

9年ぶりの会話内容は、「俺は父親を許してもいないし、今後も許すことはない」そんな内容だった。

誰が悪いわけじゃない。たぶん、誰も悪くない。

ただ、家族が機能していなかった。ただのそれだけだ。

父親と9年ぶりに会話をした僅かな期間以降、やっぱり僕は今でも父親と口を利けずにいる。

26歳になった今でも僕は、この家族と、複雑に絡み合うこの問題と、逃げないように戦わなければいけない状況だ。決着は今後、つかない問題なのかもしれない。

そして、まさかのこのタイミングで、僕自身に障害があることが分かった。

このことで、僕は丸2日、布団の中でうずくまり、小さく小さく、いっそ消えてしまえばいいだろうなんて考えながら膝を抱えて丸くなり、この世を呪い、自分のアイディンティティが点で分からず、クソみたいに光も闇もぐちゃぐちゃに混ぜ込んで、思考思考思考思考思考、ぐるぐるぐるぐるぐる、ゴミ以下にでもなった心持ちで、吐き出せもしない、泥とホコリにまみれ、手垢でこねくり回された感情を、布団の中で一生懸命、キレイになれ、キレイになってくれと願い、ああ、どうやってこの先を生きていけばいいのか、何を持って生きていけばいいのか、正常とは何か、異常とは何か、幸せとは何か、不幸せとはなにか、環境がいけないのか、生まれたこと自体がいけないのか、頭がパンク寸前になるまで、必死に必死に考えに考えて考え抜いた。

丸2日どっぷりと鬱に浸り、ようやっと外に出たはいいものの、やっぱり答えなんてものは出ることなく、どうしようもなく、途方にくれ、遠くをぼんやり眺めながら、何かを考えているようで、なんにも考えていないような、そんなどうしようもなく詰まった感情で、日常に戻った。

髪を金色に染め、安っぽい方法でもって、自分のアイディンティティをなんとか形にしようとした。そんなもんは、アイディンティティでもなんでもないことは重々承知だったが、そうでもしないと自分が保てないように思えたのだ。

結果、僕はカウンセリングに通うことになる。

そして、このカウンセリングが、僕の生きていく上での軸をぐっと強くし、人格形成の核となる部分に大きく影響することになる。

カウンセラーの先生は、はっきりとこう言った。

「家族は他人なんだよ」

と。

『家族は他人』だと認めることについて

家族の問題と自分の問題が、スパゲッティのようにこんがらがった僕の頭の中を、一つひとつゆっくり紐解くように、カウンセラーの先生はいろいろなことを僕に説いてくれた。

僕は『家族が他人』だということは、今まで一度たりとも思ったことはなかったし、血の繋がりだってあって、長い年月を共に過ごしてきた、他にない特別な存在である家族が、いきなり『他人』だということを、すぐに受け止めることはできなかった。

だけど、最終的に『家族は他人』だということを、僕は理解することができた。

人と人は、100%理解できることなんてできない。

それは家族に対しても同じことだ。

僕にとって父親と、母親と、兄弟は唯一無二の存在で、代えのきかないものだ。

ただ、それが足かせになるときがある。

家族というものを深く考えすぎるあまり、自分を見失い、その思考に依存してしまう。

ふだんの生活で『家族が他人』なんてことを意識することはない。

でも、家族や自分自身に問題があるとき、家族に依存することが非常に大きな問題になり、大きな壁になる。

そのときはじめて、「自分は(無意識的に)家族に依存していたんだ」と理解する。

自分の障害と、自分の家族と向き合う手助けをしてくれたカウンセラーの先生がいなかったら、僕は出口のない迷宮に入り込んでしまったウサギの如く、未だに苦しみ続けていたかもしれない。

この考え方に出会えて、僕はすこし大人になることができた。

辛い時は『人に頼る』ことが大切なんだ

失礼な話だが、僕は『カウンセリングに通う』なんてことは、すごく後ろめたいことだと思っていた。

だけど、実際に自分が通ってみて、その考えはとても馬鹿げたことだと気付かされた。

カウンセリングを受けることは、僕にとっては非常に大きな経験になったし、とてつもなく、心が救われた。

それは、カウンセリングの先生に助けてくださいと頭を下げることで、『自分の弱さをきちんと認めることができた』ということを体験できた、ということもある。

僕はそれがカウンセラーの先生だったが、実際のところ、話を聞いてくれる理解者はカウンセラーの先生でなく、身近にいる友達や、先輩、後輩、先生や近所のおじいさんなんかでも良い。

どうしようもなく塞がってしまうと、自分ひとりの力では抜け出すことができなくなるなんてことは、たくさんある。

様々なことを自分の頭で考えて、ぐるぐるぐるぐる、一生懸命思考を巡らせて、それでも答えが出ずに、右も左も分からなくなってしまったら、『自分の弱さを認めて人に頼る』ということは、自分の生きていく道を照らしてくれる大きな大きな経験になるかもしれない。

キミを理解してくれる人は、キミのことを疎むことはないし、多少迷惑をかけた方が人間らしくていいじゃない、と僕は思う。

僕は弱い人間だから、幸運にもカウンセラーの先生に頼ることができた。その経験は、本当に本当に、かけがえのないものだ。

そして、先生は「あなたの障害は個性です」とも言ってくれた。

だから今、僕はこうして胸を張って、自信をもって、生きていくことができている。

僕はまぁいろいろあって会社を辞めたが、今はフリーランスとして胸を張って、仕事できている。

だから、キミもどうしようもなくなったら、人を頼ったらいい。愚痴になったって、別に気にする人はいないさ。

カッコ悪くても、後ろ指さされる気がしたって、キミが生きていく上で一生懸命考えて行動したことは、誰にも笑うことはできやしないし、決して間違ったことじゃない。

そして、一生懸命どん底から這い上がって、泣きながらでも前を見て、誰かの肩を借りながら、みっともなく足を引きずりながら、自分のペースでゆっくりでも歩いていければ、きっと笑っていける日々はくるはずだ。

本当に辛かったら、人に頼るという行為にどっぷり甘えていいんだ。

男だろうが女だろうが、みっともなく弱さを曝け出すことは、決してみっともないことじゃない。

これから生きていく上で大切なこと

幸運なことに、僕らは日本に生まれた。

餓死することはほぼないし、50歳60歳になってもアルバイトであればコンビニなんかでも働ける(余談だが、この事と過去のコンビニ弁当のこともあり、僕はコンビニが大好きだ。そのうち別で記事にする予定)。

だけど、悲しいことに、どうしようもなく塞がってしまい、最後の最後には、首を吊ってしまう人が、この日本にはたくさんいる。

それは果たして正しいことなのだろうか。

餓死する心配もない、この恵まれた日本に生まれ、死を選択する人がたくさんいる事実。

その人達は、人生のどん底で、自分の命を断ってしまっている。

もしかしたら、ちょっとした出来事で、ちょっとした考え方の変化で、誰もが羨む幸福の中で、今後生きていけることができたかもしれない。

僕の好きな作家の太宰治は『女生徒』の中で、こんなことを書いている。

私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり、そのうちには、踏みはずし、うんと堕落して取りかえしのつかないからだになってしまって一生をめちゃめちゃに送る人だってあるのだ。また、ひと思いに自殺してしまう人だってあるのだ。そうなってしまってから、世の中のひとたちが、ああ、もう少し生きていたらわかることなのに、もう少し大人になったら、自然とわかって来ることなのにと、どんなに口惜しがったって、その当人にしてみれば、苦しくて苦しくて、それでも、やっとそこまで堪えて、何か世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても、やっぱり、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して、まあ、まあと、なだめるばかりで、私たち、いつまでも、恥ずかしいスッポカシをくっているのだ。

こう続く。

私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘うそのないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起しているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の山頂まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。きっと、誰かが間違っている。わるいのは、あなただ。

引用元 太宰治 女生徒

今現在、どうしようもない腹痛で塞がっていて、山に登るどころではないかもしれない。だから、腹痛を抱えたまま今すぐに山に登らないといけない、なんてことはない。

だけど、これから生きていく中で、この腹痛のせいで、すべてを失ってしまうのはどうだろうか。

1ヶ月でも2ヶ月でも、ゆっくり休むといい。

腹痛が治まって、ちょっとでも歩けるようになったら、かるーく一歩、歩いてみるといい。

また腹痛を起こすようだったら、もう一度休めばいい。

そしてあるとき、ふっと後ろを振り向いてみるんだ。

今まで見た景色の中で、一番いい景色が見えるはずだ。

そして、またちょっと進んで、また後ろを振り返ってみる。

自分の人生の中の一番いい景色が、ほらまた目の前に広がっている。

もしかすると、山を登っている人の中には、腹痛なんか一回も起こさず、すごいスピードで軽快に山に登っていく超人みたいなやつが、キミの横をさっと通り過ぎていってしまうなんてことがあるかもしれない。

だけど、そんなもんは見なくていい。今、キミは腹痛を起こしているのに、そんなくだらない事に左右されてる余裕なんてないんだから。

僕は、腹痛を起こして、布団の中で塞がり、カウンセリングを受けて、どうにかこうにか腹痛を治すことができた。

まだ、たまにお腹が痛くなることはあるけれど、そんなに痛いもんじゃなくなった。

腹痛は、今、一時的なものかもしれないし、長い時間続くかもしれない。

だけど、その腹痛は、自分の行動や他人からの助言でもって治すことができるし、もしかしたら時が経てば自然と治っていくようなものなのかもしれない。

だから、心配しなくていい。

今は無理かもしれないけど、人を頼れる余裕ができたら、肩を借りたらいいさ。

いっそ、おんぶしてくれ!なんて言ってやったっていいじゃんか。

それが、この日本で生きていく上で必要で、とても大切なことだと、僕は思う。

どうしようもなく、見たくもない現実が、一気に寄ってたかって自分に襲ってくることがある。そいつをうまく躱しながら、うまく生きていける人間なんて、世の中そんなにいるもんじゃない。

無理なら無理って言っていい。助けて欲しいと、みっともなく叫んだっていい。

僕はその腹痛の痛さを知っているし、その辛さを知っている。

だからこそ、生きていく上で大切なことを、自分なりに考えてみて、どうしようもない問題を解決できるように考えを巡らせてみて、ときには人に頼ることが重要だっていうことを、身をもって僕は言える。

腹痛が治ったら、また飲みにでも行こう。

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