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vdeepはプログラミング、IT、Web技術、ライフハックの事などなどを管理人okutaniがつぶやくブログです

新卒で入ったIT派遣会社を1年経たずに辞めた話

      2016/12/07

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こんにちは、okutani(@okutani_t)です。本記事は、僕のここ1年間の活動を記録した記事です。

内容は、就職活動の失敗、入社した会社での違和感、新卒カードを捨てて退社、最後に現在の活動について、という構成でお送りします。

最初に言っておくと、今の僕の現状は、六大学院卒でアルバイターなう、一生懸命プログラミングをする日々、ってな感じです。

なぜ、こうなったのか。

本記事では「です・ます」口調を取っ払い、私okutaniの一人語りでつらつら綴っていきます。あと、かなりの長文なので、読み飽きたらブックマークでもして複数回に分けて読んでやってください。

ではどうぞ。

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就職活動の失敗、ITへの渇望起点

しとしと、しとしと、しとしと。

ゆっくりと、まるで肌を侵食していくように、東京の排気ガスをたらふく吸った雨が僕の身体に纏わりつく。

安物のリクルートスーツは、ゴワゴワ、ごわごわ、ただでさえ着たくない代物は拍車をかけ、不快感を煽る。6月の雨だった。

次の会社は、ATMを作る会社らしい。

100年以上前に設立されたとかで、新卒募集の隅に「スマートフォンアプリの開発」もやっているとかなんとか書いてあり、古いんだか新しいんだか、よく分からない。

振り返れば 誰かの声 誰かの影
どこまでも ついて来る 世間の影
つかまえて 勇気づけて 俺を

エレファントカシマシ/孤独な旅人

ああ、くだらねぇなぁ。

どうしてこうなったのか。

理解はとうにできていた。

ジメジメしたクソみたいな季節とは対照に、僕の頭は冴えていた、はずだ。

一般受験で法政大学に現役合格、そのまま大学院に進み、6年間情報を専攻してきた。

周りに釣られるようにして、院2回生時、就職活動。

キヤ◯ンやマイ◯ロソフトでのアルバイト経験、8年続いたプールの監視員のアルバイト、どの仕事も、現場責任者やチームリーダーなどを任されるほどに、アルバイトながら仕事をこなせていた。

大学院の研究では、AndroidとRubyサーバーを使った、人工知能と現実世界の情報を組み合わせて新規性を主張、そんなようなアプリを、作ったような気がする。

形態素解析とWebAPIを駆使してできたそのアプリは、まぁまぁ研究室内でウケがよかった。

論文も書き書き、自分ながら面白く、しっかりしたものが作れたと、自画自賛。

そんなことは今の自分にとってはどうでもいい話だった。

就職活動なんて余裕だと、気分は地球にやってきたばかりのベジータと同じような感覚。今思えば、サイバイマンにボロクソにやられたヤムチャみたいな自分がそこにいたのだが。。

そのときはよゆーしゃくしゃくで、自分は人より経験豊富、内定の10や20は平気でとれる、本気でそう思っていた。

就職活動がスタートした。

1番最初にエントリーした第1志望、大手SIerの最終面談にいくまでにさほど時間はかからなかった。

やっぱり自分はうまくやっていける。自身に満ちあふれていた。

気を抜かず、企業研究、OB訪問、人事とのコミュニケーションを心がけ、どの面接も自信をもって望み、10人が10人、順風満帆だと言葉にしたに違いない。

すべてうまく進んでいたんだ。

企業の特徴は理解していたし、やりかたも間違ってなかった。そう、間違っていなかった。

ただ、僕はブレていた。

その違和感は、一瞬の内に確信に変わった。

最終面接。

面接官は、エンジニア上がりの部長。少人数用の無機質な会議室で、部長さんは渋い顔で僕を出迎えてくれた。

僕は『最終的にSEになりたいが、最初のうちはプログラマーとして知識をつけていきたい。それから、周りの人と人とをうまく繋ぐ、潤滑油のような役割ができる、りっぱな社会人になりたい』なんてことを、身振り手振り、一生懸命にやっていますアピールを演じつつ、うまく話していたと思う。

しかし、この行動は間違っていた。

いや、世間一般からしたら、おそらく間違いではない。そういった考え方で将来設計を語るには、就活においてセオリー通りであろう。

この場の発言として、その発言は不正解だったのだ。

「そのような人材は求めていない。技術のプロとしてやっていく覚悟がなければダメだ」

そこから、何一つ挽回できず、最終面接は終わった。

面談室の外。いつも明るく接してくれる人事の方が「どうでした?うまくいきましたか?」と、僕の顔を覗き込みながら、にこやかに、そう聞いてきた。

僕は「うまくいきませんでした」と、すこし伏せながら答えた。応援してくれていた人事の方に、向ける顔なんて持ちあわせていなかった。

あっけなく、初のお祈りメールを頂いた。

『就職活動』というものが、よく分からなくなった。

ここからエントリー100社以上、60社ぐらいは様々な会社を受けてみたが、立て続けにぜんぶ落ちた。

あっちこっちの本屋をまわり、就活本を5冊ぐらい買い込んだ。すべて頭に叩き込んだ。履歴書、ES、面接での道筋、すべて一から考えなおした。

大学の就職支援センター、新卒向けのハローワークも使ってみたものの、それでもダメ、だめ、NO、お祈り、まさしく全滅、そんな言葉ばかりだった。

書いてて気分が悪いし、もやもやして目を瞑りたい思い出がモワモワと蘇ってくるが、頑張って最後まで書ききろう。

そこから僕は、軸を『プログラマー』一本に絞り、選考インターンなんかにも参加してみたものの、やはり全滅、ゼンメツ、お陀仏、念仏。「プログラマーはそんなに甘い仕事じゃあないのよ」、と誰かに言われた気がした。

最終面談で「プロになれ」とボロクソにやられた日、気がつけばこの日が、僕の『ITに対する渇望起点』となっていた。

就職活動の帰り道、本屋に立ち寄りプログラミングの参考書を漁る。どうやったらITエンジニアになれるのだろうか。

プログラマーとして、技術者として、IT業界で仕事がしてみたい。いや、絶対、プログラマーになるんだ。

考えは固く、就職活動を進めるうちに強く、つよく、グルグルと何十に巻いた包帯、カラカラに乾ききった木工ボンド、プログラマーになりたいという願望は、じわりじわりと固まっていった。

「プログラミングを生涯の生業にする」

そう決めて、がむしゃらに前だけを見つめ、3ヶ月ほど経過したある日。

やっとひとつだけ、内定を頂いた。

ベンチャーを謳った、IT派遣会社(SES)の会社だった。

僕の想いとは裏腹に、てきとーな1次面接で、即内定、といった具合であった。

全滅お祈りを立て続けにいただき続けた疲弊困憊の僕の頭が考え出したアンサーは、遅延したスシ詰めの電車の中「これに飛び乗らなければとってもとっても大事な約束に間に合わない!」と、行く先がどこなのか、そいつが中央線なのか山手線なのかはたまた埼京線なのか、もしかしたら新幹線かしらん、いやいや、夜行列車かも?そんなことさえ分からないまま、思い切って飛び乗るしかない、博打のような答えであった。

それでも、内定を取れたことに喜びを感じていたことに、嘘偽りはない。

やっとのこと、新卒プログラマーとしての進路が決まった。

Kさんの退職、社内勉強会、ブラックリスト入り、悪魔のメール

2015年4月。僕は晴れて社会人1年目になれた。

勤務先は池袋。常駐先が決まるまで、社内での研修があるようだ。

まあ、覚悟はしていたのだが、仕事が始まって、研修制度なんてものは何一つなかった。

なぜかって? 社内にプログラムを書ける人間がだーれもいないのだ。

新卒同期8人、全員プログラマー志望で入ったはずなのに、プログラミングのスキルは会社で一切教えてくれないらしい。

社内には経営陣、事務、営業の人間しかおらず、僕ら新卒社員は放置状態のママ。

入社した会社のコーポレートサイトには『充実した研修制度!先輩がマンツーマンでサポート!社員に幸福を!』なんて、嘘八百が書いてあったが(社員の幸福うんぬんはガチで現在進行中でサイトに大きく掲げている。今すぐあなたに見せてあげたい)、まあ世の中そういうものなのだろう。

2chの掲示板で「SESなんてそんなもの」という書き込みを根掘り葉掘り読み漁っていた僕には予備知識があったので、さほど驚きはしなかったが。

たまに社長から渡される『過去に先輩プログラマーが書いたありがたいおコード』たちは、盛大なクソそのもので、1行が3000文字以上あって読むのにひたすら横スクロールしなくてはいけなかったり、SQLインジェクション対策? 何それ? XSS? え、それIT用語? なんて声が聞こえてきそうなガバガバセキュリティ、大量のダブルクォーテーションをバックスラッシュでエスケープ連打対処するなんて日常茶飯事だぜ! といった具合の、プログラミング3日目のど素人でも書かないであろう、ゴミクズコードばかりだった。

ある意味で参考になるそのコードをデスクトップのゴミ箱にぶち込み、僕らは揃ってブラウザを起動した。

「僕らの先輩はグーグル先生」を合言葉に、新入社員一同、各々研修を進めていった。

初めての社会人生活にだんだんと慣れ始めた1ヶ月過ぎあたり、だったと思う。

業務管理部のKさんから僕宛に、社内チャットでこんなメッセージが届いた。

『急な連絡ですみません。近いうち私は会社を辞めます。そこでokutaniさんにいくつか引き継ぎをしたいのですが、手伝ってはいただけないでしょうか』

Kさんは1つ上の先輩なのだが、1年浪人していたため僕と同い年だと、以前誰かから聞いていた。Kさんは、僕が同い年だったから比較的仕事を頼みやすかったのかもしれない。

僕は快諾し、次の日からいくつかKさんの仕事を手伝った。会話こそそれほどなかったのだが、最後にKさんの役に立てたことは社会人なりたての僕としては、素直に嬉しい事であった。

Kさんが辞める日。

僕はカルチャーショックを受けることになる。

「お疲れ様です」

定時過ぎ、Kさんは一言、そう言って席を立った。

そのまま、誰も何も言わず、Kさんはすこし視線を床に落としつつ、とぼとぼとオフィスの出口への扉に向かい、姿を消した。

か細い声で、平然を装いつつも、私は平気です、と言わんばかりの趣で、Kさんは池袋のオフィスから、永遠に姿を消したのだった。

オフィスは個として『通常運転です』と主張、カタカタ、かたかた、キーボードの音だけ響き、そう答えてみせた。

僕はその空気を受け入れられなかった。

新卒で入った会社で、少なくとも1年続けた会社の、最終日。

労いの言葉もなく、賛辞なんて言葉は弊社の辞書からはとうの昔にすっかり消され、忘れさられておしまいでありましょうか。贈る言葉なんて、どこを見渡しても一片のお姿もありゃあせず、Kさんはただ一言、「お疲れ様です」とぽつり残し、会社を去った。

僕の会社に対する不信感は、この件以降、富士山に持って行ったポテチの袋が徐々に膨れていくように、寝ずの作業で朝7時過ぎ、当然のごとく意識が徐々に薄れていくように、ゆっくり、ゆっくりと、僕の心に不安の種をパラパラと撒いて、膨れて分からなくなっていった。

Kさんの退社後。僕は社内勉強会を開こうと行動していた。

同期に呼びかけ、隔週の土曜日。2時間程度の時間を作り、それぞれ議題を持ち寄り、切磋琢磨、お互いに励まし合いながらお勉強をしていきましょう、と。

営業の先輩方の支えもあり、無事に社長の許可も得ることができた。僕は入社2ヶ月目にして、社内勉強会の立ち上げ人になった。

触ったことすらないGitの使い方から始まり、Vagrantを使った仮想環境の構築、Bootstrapを使ったポートフォリオ作成、Githubを使ったソーシャルコーディング方法などなど。

当初は同期同士交代しながらプレゼンしていく形を予定していたのだが、いざやってみると7割ぐらいは僕がプレゼン資料を作って講師を務める、といった会になっていた。

もちろん、僕はグーグル先生に知らないことをすべて問いかけ、それでも分からない場合は掲示板で質問してみたり、なんとかかんとか、社内勉強会の運営を試行錯誤しながらもおこなっていた。

見よう見まねではあったが、そのスタンスで様になっていたと思う。

完全に技術的なことばかりの内容だった社内勉強会は、休日土曜日にも関わらず、面白がって営業の先輩も何名か参加してくれるような、ある意味で活気に溢れる活動として徐々に昇華していった。

同期の常駐先がぽつぽつ決まり始めた、入社3ヶ月目あたり。

僕はテスターの案件にアサインされた。

このテスターの案件の話も、まぁ非常に笑える話なのだが、ただでさえ長い話が1.5倍ぐらいになりそうなのでまた別の機会に話すことにする(このテスター案件は1ヶ月の期間、スマホを朝から晩までポチポチするだけの仕事であった)。

この頃には、社内勉強会がうまくいっていることもあり、「来年入ってくるであろう2016年卒の新卒社員の受け皿として機能させよう」と僕はひっそりと考えていた。

経営陣によると、2016年卒は今年の倍以上の20人を採用予定とのことで、大手就活メディアにも大金を払って掲載するほどに、気合いが入っていた。

僕は大学院のうちに高校の教員免許を取るぐらいには教育に関して興味があったため、2016卒の勉強会参加の件は僕の中で密かな楽しみになっていた。

そういったワクワクは、テスターの仕事に対するモチベーションを保つのに一役も二役も買っていたと思う。

その案は社長にも以前から直接話していて、「それはいいことですね、頑張ってください」と、一応の許可は得ることができていた。

自分の勉強と、今後入ってくる後輩、もちろん、今の仕事にも役に立つナイスアイディアだ。

そう思うと、疲れて帰宅した後でも、毎日3時間、参考書を読みながらコーディングする日々は、ぜんぜん苦痛ではなかった。

そんな頭お花畑確変中の最中。営業の先輩から、不敵に、見えない靄の中でごそごそと、まるで人とは思えない、悪魔の仕業のような、吐き気を催すメールが、僕に届いた。

営業の先輩は僕の担当営業で、僕と同世代だった。面倒見のいい、頭の切れる印象の人であった。

たまーにメールでくだらないことをやりとりする程度の仲だったのだが、なにやら、今回は様子が違っていた。

先輩のチャット画像。
突然だが、俺は会社を辞める

okutaniのチャット画像。
え、急にどうしたんですか?

先輩のチャット画像。
okutani、お前は『ブラックリスト』に載った。お前に仕事はもう回ってこない

okutaniのチャット画像。
どういうことですか?

先輩のチャット画像。
社長から、経営陣・営業全体に、圧力がかかった

先輩のチャット画像。
かんたんに言うと「okutaniには案件を回すな。潰せ」ってことさ

先輩のチャット画像。
今までに何人もこれでクビにしてきた。うちの会社の、いや、うちの社長の常套手段だ

先輩のチャット画像。
常駐先にいてもお構い無しだ。「お前、一体何をやっているんだ!常駐先からクレームが入ったぞ!」なんてでっち上げて、本社に強制帰還

先輩のチャット画像。
あとは経営陣・営業に圧力かけて、そいつを潰す。お前はその『ブラックリスト』に載った

okutaniのチャット画像。
そんなことがあるんですか……

先輩のチャット画像。
俺はこの会社に入って3年、我慢してやってきた。だが、もう無理だ。俺は会社を辞める

先輩のチャット画像。
スキルがある・ない、なんて関係ない。この会社では『社長が気に入るかどうか』だけだ。この会社は腐ってる

そのメールから1ヶ月ぐらいして、先輩は会社を辞めた。

その悪魔のようなメールを見た後でも、僕は自分を押し殺して、なんとか、耐えていた。

それは、僕が立ち上げた勉強会に楽しそうに参加してくれる同期や、理解ある先輩方がいてくれたからだ。

その点、僕はこのどうしようもない環境でも、一筋の光を見出していた。暗い地獄でカンダタが蜘蛛の糸に希望を見出していたのと同じように。

「もうすこし、頑張ろう」

だが、そのやる気は風前の灯火だったようで、次のひと吹きで、火はあっけなく消え失せた。

僕にとって大事な約束を、社長がいともかんたんに破棄しやがったのだ。

僕は社長と、とある約束をしていた。

それは、2016年卒新入社員の内定が確定する、2015年10月1日の内定式。

この日を過ぎれば、彼らを社内勉強会に参加させていいと、そういう約束であった。

社長に対する不信感もあり、僕はこの件について再三、社長に確認をとった。

悪魔メールの件からというもの、帰社日や報告会、懇親会などの場で社長と話すことが、なによりの苦痛になっていた。

人を小馬鹿に、見透かしたように、大人を装いつつ、飄々、ヘラヘラした態度で、何食わぬ顔、平然と接してきやがる。それでも、煮え湯をぐっと喉の奥に飲み込み、にっと笑顔で耐えてきた。

そういった状況下、2016年卒の新卒社員が社内勉強会へ参加する、そのことだけに、僕は藁をもすがる思いでいたのだった。

ブラックリスト入りしてから、僕は周りが見えなくなっていたんだと思う。

『2016年卒の新卒社員が社内勉強会に参加する』

このことで僕の頭がいっぱいになり、思考停止、盲目的になっていた。

ある日のことだった。

社内で『社長の右腕』と半分馬鹿に?されている、経営陣のひとりのとある先輩が、ふらと僕の席にやってきて、ぼそり、こんなことを呟いた。

「2016年卒の新卒の件なんだけど、あれ、無しになったらしいよ。今日の朝、社長が、そう言ってたよ」

……

……は?

「らしいよ」ってなんだ? 「言ってた」ってなんだ? お前はあのヘラヘラした腹黒社長に、okutaniにそう告げてこい、とでも言われたのかい? なんで社長が直接俺に言いにこないんだ?!

新卒社員の研修について再三、確認をとっていたのにも関わらず、その度に社長は「いいですね、いいですね」と形上の笑顔で答えて、腹の内ではやらないことはずっと前から決まっていたのだ。

2015年10月1日。来年4月の入社を控えた2016年卒新入社員一同の内定式の日が、何事もなく過ぎた。

社長からは何の連絡もない。

僕は退社することを決めた。

遅かれ早かれ、ブラックリスト入りした僕には仕事はなくなる。もちろん、昇給や昇格なんてもの、この会社にいたら望めやしないだろう。

どんなに努力しようとも、周りから信頼を得ようとも、スキルがあろうともなかろうとも、社内の人間が辞めていくことに心を痛めようとも、必死に参考書にかじりついた日々があろうともなかろうとも、たったひとつ、『社長が気に入らなかった』これだけで、その組織では最底辺の人間に位置することになるのだ。

新卒で入った会社に、僕の存在はあっさりと否定された。

社長に直接「辞めます」と伝えるのに、別段覚悟はいらなかった。

当たり前ではあるが、僕の退社は快諾された。何一つ理由も聞かれず、待ってましたと言わんばかりに、あっさりと僕の退社は決まったのだった。

「お疲れ様です。あとの手続きは事務に聞いてください。はい、お疲れ様でした」

2015年12月25日。僕は新卒で入った会社を退社。

奇しくもクリスマスという日、僕は家でひとりペヤングを食っていた。いつ、どんなときでも、ペヤングはうまいんだなぁ、なんてぼんやり考えていたことを、バカみたいに今でもなぜか鮮明に覚えている。

Webの現場、アルバイターでプログラマー

悪魔メールの少し前、実は次の現場が決まっていた。

そこは同期のO君が行っている現場で、O君が先輩社員に僕の作ったWebサイトを見せたのが、話のキッカケだった。

その先輩社員は僕の作ったWebサイトを見て、うちの現場に来て欲しい、と向こうからオファーしてきた、という流れ。

その現場はWebの案件を多く抱えている会社で、PHP、HTML, CSS, JavaScriptあたり一通りのスキルがある人を募集していた。

テスターの案件が終わった僕には仕事がなかったから、うまい具合にその現場にアサインされたのだった。

だから、もうすこし遅かったら、あの悪魔メールの件で僕はクビになっていたに違いない。知らないうちに、皮一枚のところで僕はしぶとく生き延びていたのだ。

この現場の契約が切れるなり、クレームをでっち上げられない限りは、その現場でWebプログラマーとして働ける。

しかし、ブラックリスト入りのこと、社内勉強会のこと、この会社での僕の未来に希望が見えないこと、いろんなことが頭によぎり、結果、退社の道を選んだ。

現場責任者にこのことを告げると、「うちの社員にならないか」と話を持ちかけていただいた。

僕は悩んだ。

が、正直、もう社会人というものに、何ひとつメリットを感じられないでいた。

逆に僕は、社員ではなくてアルバイトでもいいですか、と提案を返してみた。

何度かの話し合いの末、僕はアルバイトとして、その現場で継続して働けることになった。

ただ、アルバイトの身なので、案件が少ない月はシフトが週2になることもあるし、多い月は週5で入ることもあるよ、とのこと。

2016年3月現在。年度末で案件の数も多く、ありがたいことに週5で働けている。

都内のコンビニアルバイトぐらいの時給だが、嫌なことを何も考えず、プログラミングできる環境であり、貯金はできなくてもスキルアップはできるという今の状況に、少なくとも僕は満足して働けている。

これから来る7月納期のすこし大きめの案件では、プログラマー管理者?的な立ち位置になれそうなので、やりがいもある現場だ。

「大学院を卒業してアルバイトだなんて」なんてことを、親や友達に言われることもあるけれど、これでいいんだ。

僕は憧れだったIT業界に、形はどうあれ、働けているのだから。

これからの自分の将来について

自分はお金の使い方が下手くそなので、普段キャッシングで生活を繋いでいる。

アルバイトになってから給料も下がり、保険とか年金とかも自分で払わなければいけなくなった。

近い将来のことを話せば、借金を返して貯金をしてみたい。

恥ずかしながら、人生で一度も貯金したことがないので。

あとは、自分でWebサービスを作って、そいつで稼いだお金で生活したい。

最近は個人的に勉強しているRuby on Railsやgolang、Linuxを使った開発環境・サーバーの知識も徐々についてきた。

プログラミングをたくさん学んで、あの日渇望したITに対する知的好奇心を爆発させて、これからも前に、前に進んでいきたい。

えらく長文になりましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございます。

これからも、このブログはちょくちょく更新していくので、生暖かい目でもって、よろしくしてやってください。

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