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今だから言える。いじめで友達が壊れちまったときの話をしようか

   

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こんにちは、okutani(@okutani_t)です。今から7, 8年前の話。僕の友達がいじめで壊れてしまった話をしようと思う。

今回も「ですます口調」を取っ払い、僕の一人語りの形で、本記事を綴る。

どこから話していいものか、少々戸惑いながらMacの前で悶々しているが、これは僕のブログで、僕の記事だ。書きたいように書こう。

メインのお話は、高校のときの友達のことについてだが、そのバックボーンとして、小学校で起きたいじめの話からしていこうか。

じゃあ、つらつら書いていこう。

※本記事の後半部ではショッキングな内容を含みます。心臓の弱い方は閲覧を控えてください

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いじめを”No”と言えた小学生のあの日

小学生の5年生ぐらいのころの話だ。どこにでもよくある話なのだが、女子から「気持ち悪い」だの「〇〇菌が移るから寄るな」だの言われている、クラスメイトの男子、そんなY君の話である。

Y君は、仕草が少し女の子っぽくて、それがクラスの女子からいじめの対象になっているようであった。

Y君は兄妹が多く(何人かは忘れてしまったが)、そのほとんどがお姉さんだったようだ。

普段の生活が女性に囲まれているからだろうか、その仕草がY君移ってしまって、仕草が女の子っぽくなっていたように思える。

男子からは別段からかわれてるようには見えなかったので、ただ単に、女子からのいじめの的にY君が丁度よかった、ぐらいなものだったんだろう。

次第に、Y君へのいじめがエスカレートしていった。

Y君の上履きに画鋲が入っていたり、筆箱がゴミ箱から見つかったり。

あるときは、Y君の給食に白い粉がかかっていて、「変な薬品だったら大変だ!」ってことで、先生が大慌てで専門家の鑑定に出した、なんてこともあった。結局、それはチョークの粉だったわけだが、当時は学校内でけっこうな騒ぎになった。

先生は「いじめはやめましょうね」と、道徳の時間をいっぱいに使っていじめをやめるよう説いたが、まぁそんなことで止まるようないじめは世の中に存在しないだろう。相変わらず「キモい」「寄るな」「氏ね」と一部の女子からちねちね言われていたらしい。

先生が何度、道徳の時間を使って「いじめはダメですよ」と言っても一向によくならなかったのか、今でもよく分かっていないのだが、ある道徳の時間、Y君のお姉ちゃんと、その彼氏が僕らの前で「いじめをやめてください」と僕らに真面目な顔で話し始めた。

Y君のお姉ちゃんとその彼氏が、熱弁をふるっても、相も変わらず、いじめが止まることはなかった。

女子もうまいもので、Y君にしか聞こえないような小さな声で「バカ」「氏ね」なんて言葉で、陰湿にいじめをおこなっており、どこの女子のグループかは大体は分かるけれども、誰がやったのかはY君本人しか分からないようだった。

今でこそ、「その才能を別のところで発揮しろよ」と僕は思うのだが、いじめてる当人からしたら、バレるかバレないかのスリリングな『いじめゲーム』が、彼女らにとって最高に面白かったに違いない。

そんな中、僕はどうしていたかというと。。。

当時の僕はバカそのもので「なんでそんなことするんだろうなー、いじめなんてやって何が楽しいんだろうなー」と、まぁ、傍観者の中でも『一番アホウな傍観者』であった。

そして、そのいじめを止めたのが、その当時一番アホウな僕であった。

定例になりつつある『いじめはダメだよ、やめようね』のお時間がやってきた。

そのとき、僕は『この時間すげー無駄だよなぁ』という考えが、頭に3割ぐらいあって、その考えが僕の中で行動に変わった。

7割ぐらいは、『気まぐれな正義感』だったと思う。

勢いよく手を上げて、「いじめはよくないと思いまーす!」と、ただそれだけ発言した。

教室の空気が変わった。

「言ってはいけないことを言ってしまいましたね!」なんて言葉を誰かに責め立てられ、運動会のリレーでアンカーを任されたけど、ゴール手前で盛大にコケてしまったときのような、そんな居心地の悪い空気が、教室に漂った。

教室がすこしざわつき、先生も僕と同じ、アホウみたく、ぽかん、と目を丸くしていた。

ただ、それは教室の一部の人間が発していた空気だったことに気がついた。

僕の発言は間違ってはいなかったのだ。

いじめは、それ以降なくなった。

いや、僕が確認している中で、ってことなのだが、確かにあれ以降、いじめの話がクラスで議題にあがったことはなかったと思う。

道徳の時間が、『いじめダメだよやめようね会』になることもなくなり、Y君からはいろいろと感謝された。

正直、当時の僕はバカ丸出しだったので、「お、いじめなくなってよかったじゃーん!元気にやれよ!」なんて超絶ポジティブな言葉を、Y君に笑いながら言っていたと思う。

傍観者から、当事者になった。

そうしたら、いじめはなくなった。

なんだかよく分からないが、バカな当時の僕は「いいことしたなぁー」と、少し誇らしげだった。もちろん、いじめをおこなっていた女子からの視線が怖かったという事実は、少なからずあったのだが。

今思うと、よく次のいじめの対象が僕にならなかったなぁ、とすこし恐怖を感じる。まぁ結果オーライな訳なのだが、当時の僕としては「いじめを止められてラッキー」ぐらいに考えていた。

でも、教室の中で一種お決まりであった異様な空気を壊し、いじめを止めたという「自分なりの正義」を小学生ながら貫けたことは、今の僕の人格を形作る上で、欠かせない経験になっていることは間違いない。

このお話が、次のお話と繋がるのかどうなのか、点でよく分かっていないが、まぁ好きに書こう。

ここからが本題だ。

僕と高校生活とF君と

僕は高校生になった。

高校デビューなんて言葉があるように、僕は高校で何かしらライトサイドな方向に、そう、学園生活を『華』のあるものにしたかった。

中学の頃から、卓球部に入ることは決まっていて、あとはそうだ、軽音部に入ってギターを弾けるようになったらカッコいい、よしじゃあ軽音部にも入ろう、ということで、卓球部兼軽音部所属、という形に、気が付いたらなっていた。

ただ、僕はとてつもなく飽きっぽい性格で、軽音部はちょろっと出ただけで、それ以降はほとんど部活に顔を出すことはなかった。でもなぜか、休み時間は仲のよい軽音部のクラスメイトと、音楽室に通う日々を送るという、よく分からん性格を十二分に発揮していた。

そのクラスメイトのひとりが、今回のお話のメイン、F君である。

彼はドラムがすごく上手で、XJAPANの曲とかをズダダダダ、と僕の前で華麗に叩いて見せた。そんな超絶テクを、ぜんぜん音楽なんか分からない僕に丁寧に教えてくれるF君。そういった関係からも、F君と僕は、他の友達より仲がよかったように思う。

F君のおかげもあって、高校2年のとき、学祭でバンドとして参加できた。

『空に唄えば』『小さな恋の歌』『バンザイ〜好きでよかった〜』の三曲を、みんなの前で演奏した。今思えば、これ以降、人前で演奏することがなかったので、僕としてはけっこう思い出深い事柄だ。

季節は冬を越え、高校生活も終わりの年、最終学年になった。

高校3年生に上がって、クラス替えがおこなわれた。

見事に、クラス内に友達がひとりもいなかった。

元々、友達が多い方でなかった僕は、誰とも話さず、4月、5月、6月、7月と、ひとりで過ごした。

昼休みは図書室に行き、ひたすら太宰治の全集を読んでいた。

隣のクラスには友達がいたのだが、友達がいなくて隣のクラスに駆け込むのは、こうなんか、「ダサい」、なんてことが頭によぎって、ついには太宰の全集を図書室から借りてきて、どこ構わず、本の世界に没頭する学生になっていた。

おかげで、現代国語だけセンター模試で学年一位になるぐらい、友達と隔離された生活を送っていた僕は、本が友達、といってもいいぐらい、根暗な日々を送っていた。

この本への現実逃避が、F君のいじめにまったく気付けなかった要因のひとつになる。

F君は、学校を辞めていた。

噂によるとこういう話だった。

F君に同じクラスの女の子の彼女ができ、それを快く思わない何人かの女子が、何かしらのいじめをF君に弄したらしい。

そのF君の彼女は、F君をかばうことはせず、結局、ふたりは別れてしまった、と。

これはF君が辞めてから、人づてに聞いた噂程度のものではあるが、実際にF君は学校を辞めていたし、おそらく何かしらの形でいじめに遭い、それに耐えられなくなって学校を去った、という流れだったんだろう。

しかし、僕自身、F君の心配ができる立場の人間ではなかった。

夏休みを明けてすこし経ったとき、僕は学校に行かなくなったのだ。

友達がいないことに耐えられなくなったのもあるが、学校にいかなくても卒業単位が足りる、ということもあったから。

だからF君のことは、ぜんぜん考えが及ばなかった。学校を辞める・辞めないは個人の自由であるし、そのころはほとんど、F君と遊ぶことも、音楽でXJAPANを叩くこともなかったのだ。

学校にいかなくなって、そんな情報から一切隔離された生活を送っていた僕には、それを知っていても、止めることなんて到底できなかっただろう。

……前置きがとても長くなってしまった。ここからはちょっと手短に話そう。

僕は家に引きこもってから、必死に勉強して、無事に大学に現役合格した。

嫌だった高校生活ともオサラバ、親に「合格祝いだ」と買ってくれた小型のバイクを乗り回し、始まったばかりの大学生活を満喫していた。

そこでなぜか急に、F君のことを思い出した。高校生活という呪縛から解放されたからなのか、なぜか「またF君とバンドやりたいなぁ」と、ふと頭によぎった。

それに、買ったばっかの小型バイクを誰かに見てもらいたいという、ただの個人的なバイクお披露目会をやりたかったのもある。小学生から変わらず、ただのアホウな僕であった。

メールで会う約束をし、僕は浮かれ気分。もう頭には、バンドとバイクのことしかなかった。

壊れちまったF君と、何もできなかった僕

夕も暮れ始めた17時頃、ひばりヶ丘駅前のマックの前で待ち合わせた。

バイクのエンジンを止め、マックの前までズルズルと引きずり、F君に早く見せてやろう、どんな反応するのやら、とウキウキした気分であった。

まもなくして、F君が現れた。

一年振りぐらいに顔を合わせた僕らは、マックでコーラのSサイズをお互いに注文した。

なぜか、そんな細かいことを、今でも鮮明に覚えている。

僕はF君の顔を、まともに見ることができなかった。

F君は変わっちまっていた。

F君は、目の焦点が合っておらず、僕に向けたその両目は、はるか遠くに泳ぐ雲を追いかけるように、うつろ、うつろし、心なしか、白い水晶に浮かんだ、薄く引き伸ばされた墨汁のような黒目は、生気がなく、両の手は、極寒の中、手袋もせずに1時間ほど放置したのではないかと思うほどに、ぶるぶる、ブルブルと、一向に止まる気配なく、コーラを持つ手を、僕はとっさに庇ってしまいそうになるほどに、自分の手をうまく扱えておらず、その舌は、先端を誰かに切断されてしまったのだろうか、それとも、スタンガンか何か、高圧電流でも流され、痺れでもしているのか、と思うほど、ろれつが回らず、発言する言葉のほとんどが母音に聞こえ、かすかに震えており、その様子は、100人が100人、「彼は普通の状態ではない」と答えるだろうと、僕の生きた18年間の中でも、一度も出くわしたことのない状況、病気なのか、それとも、何か重い障害なのか、ただ、ただ、僕は平然を装い、口角を上げ、顔も見ず、「うん、うん、そうか、そうか」と、F君の話に相槌を打つことしか、できなかった。

そんな僕を見てか、F君はろれつの回らない口で、こう言った。

「僕は、学、校を、辞めて、精、神が、おかしく、なって、しまっ、た、んだ。彼、女、とも、仲が、よかっ、た、んだけ、ど、いろいろ、あって、別、れて、しまっ、た、よ。そのあと、精、神、病院に、行っ、て、いくつか、薬を、もらっ、た。でも、あんまり、その、薬は、効かなかっ、た、かな。あん、まり、体調が、よ、くない、もんで、母さ、んが、精、神が、よく、なる、施設を、教え、てく、れて、今、は、そこに、いる。僕の、仲、間も、みんな、同、じ、境、遇で、み、んなで、良く、なる、ように、治療を、受け、て、るんだ。今、うまく、喋れな、い、のも、薬の、影響、らしい。でも、先、生と、母さん、は、よく、なっ、て、いるよ、って言っ、て、る。今は、施設の、友達と、バン、ドを、組もうって、話し、で、僕は、ドラムが、好きだらか、また、あのと、き、みたく、ドラ、ムを、やろうと、思う、ん、だ。今は、うまく、スティックが、握れ、な、いけど、okutaniと、も、また、バンド、でき、たら、い、いね」

僕は必死に、出てくる涙が、溢れないように、「うん、そうか、うん」と、相槌を、ただ相槌を、笑顔を作りながら、ただ、ただ、相槌を、それだけを打つことしか、できなかった。本当に、それしかできなかった。

悲しみ、憎しみ、怒り、嫌悪。

僕は、彼に何もできない。

言葉で言い表せない感情が、僕のノドをぐっと、息ができないほど、強く、絞め、それでも、僕は彼の前で泣いてはいけない、ダメだ、我慢するんだ、絶対に泣いてはいけない、ここで泣いたら絶対にいけない、と震える体を必死に、F君に決して、ばれないよう、強く、必死に、強く、強く、変色していく皮膚に構いもせず、強く押さえ、堪えていた。

Sサイズのコーラをからん、と飲み干し、僕らはマックを出た。

「じゃあ、またな」

僕は、ろくに自慢もできなかったバイクにまたがり、すっかり暗くなったひばりヶ丘駅を背中にしながら、抑えられなかった涙を止めようともせず、何度も、何度も、嗚咽を繰り返しながら帰った。

僕は、彼に何もできない。

家に帰って、様々な感情は、一気に、恐怖へと変わっていった。

僕は逃げた。

もう、F君とは関わってはいけない。

押し潰されそうになった心を保つには、そうするしかなかった。

F君とはそのあと何度かメールを交わしたが、僕からどうこうすることもなく、『友達の関係』は次第に『他人の関係』へと変わっていき、そして消えていった。

僕は、彼に何もできなかった。

本当に、僕は彼に何もできなかった。

おそらくF君は、僕から声をかけてもらって嬉しかったんだと思う。F君は話している最中、すこし笑顔になっていたから。

だけど、僕の心はそれに耐えられるほど、強くはなかった。

いじめは時として人を殺すし、人を壊す

僕がF君にできたことはなんだったのだろうか。この7, 8年の間に、何度も、何度も考えた。

でも、結局、あのとき僕は自分のことで精一杯で、今思い返しても、やっぱり何もできなかったのだと思う。

ひばりヶ丘のマックで落ち合った後、F君と一緒にバンドを組んでいればよかったのだろうか。

いや、それも、そのときの僕には到底できたことではなかった。今の僕であったとしても、それはできないだろう。

じゃあ、僕にできたことはなんだったのか。

いじめは時として人を殺すし、人を壊す

身をもって、僕は実感した。

たぶん、いじめている方は、いじめられた側がそんなことになるなんて想像しながら、いじめを働いているわけではなく。。

自分の欲求が満たされれば、他人が多少傷ついても構いはしない、そういった具合だろう。僕はいじめる側の心理が分からないから、うまく言えないんだけれども。

小学生のY君と、高校生のF君に、大した違いはなかったのかもしれない。

まだ、小学生と高校生を比較すれば、いじめでダメになってしまう確率は、おそらく小学生の方が多いはずだ。

だけど、ああやって、精神的にもしっかりしている年齢の高校生でさえ、いとも簡単にいじめで壊れてしまうのだ。

それに、F君が壊れてしまったように、僕自身、精神的に追い詰められて、壊れてしまうということは、なくはないことだ。

この記事で、これを訴えたいとか、そういうのは特にない。ただ単に、僕の経験をつらつら書いただけだ。

でも、いじめは時として人を殺すし、人を壊す。このことだけ、一部の人にでも伝わればいいな、とは思う。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

※追記: 本記事にて友達が「壊れた」と表現していますが、当時の僕が感じた様子をそのまま表した言葉です。壊れた、という表現が彼の状態を適切に表した言葉ではなく、あくまで僕が感じた主観的な表現、と捉えてくださると幸いです。

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